今年96歳、張約旦茶師

(2004.5.台湾 スタッフ和田)



木柵鉄観音の神様といわれる【張約旦茶師】
今年96歳、今も現役でお茶を作っています!世界中で一番お年を召した大老茶師です。

張約旦茶師の家は山の頂上にありました。

「こんにちは!日本から来ました」と挨拶すると、

張茶師「おぉ〜良く来たね。
ところで、この人知ってる?」

張茶師は赤い表紙の本を見せてくれました。それは工藤佳治さん著書【中国茶の楽しみ/雑学ノート】という日本の本でした。天野店長も持っています。

「工藤さんはもう何回うちに来たっけなぁ。この人、本の中でわしのこと書いてるんじゃよ、フフ♪...さぁて、君の写真でもとろう♪」
とカメラを私にむけるのですが・・・

張茶師「あれ?電池がない・・・。がははっ!」

すっごくお茶目でとっても元気なおじいさん、そんな印象を受けました。

そんな張約旦氏は今年で96歳、奥様は80歳。お二方ともとても健康なのですが、張茶師は近年足の具合が思わしくないらしいのです。

張茶師「お茶を作っている時は楽しくて足が痛いことを忘れてるんだ。製茶は息子達が手伝ってくれるけど、発酵や殺青、ホンペイの具合は全て自分で確認して調節してるよ。本当は誰にも触らせたくないんだよね〜」

とても96歳とは思えない、はっきりとした口調です。





「○○銘茶の社長秘書も自分の所のお茶は飲まず、わしのお茶を飲みにくるんじゃよ〜。このお茶も家族と自分、知人達のためだけに作ったお茶なんだ」
そう言いながら幻のお茶【正宗木柵鉄観音(ミカンの花)】を淹れてくださいました。

張茶師「若い頃の話。福建省安渓の王賢という人物に鉄観音の作り方を教わり、1934年から木柵の地で鉄観音作りを始めた。
1969年、安渓出身の茶師に習い、団揉と焙火で熟した果実のような香りを生み出したんじゃ。
現在の木柵鉄観音を初めて作ったのはわしじゃよ。それからは木柵の他の茶農達にも作り方を伝授して回ったんだ」

木柵鉄観音の第一人者、張約旦茶師。台湾のお茶関連に従事する人々は皆張茶師に教えを請うといいます。

早速、張茶師オリジナルの「正宗木柵鉄観音(ミカンの花)」をいただきます。天野店長が「なにがなんでも仕入れて来て!」と言っていた幻のお茶。
年に1度だけ、ミカンの花が咲くお正月にだけ生産されます。しかも生産量はほんの少しだけ。
始めにふわっとミカンの花の香りがし、飲み干した後は鉄観音の余韻と甘味が残ります。かすかに黒檀のような香りも。

和田「わー、こんなの初めて!どうやって作ったのですか」

張茶師「半分まだ蕾のミカンの花を、ホンペイをしていない茶葉と一緒に放置し、香りを移すんだ。途中、何回も新しい花に取り替える。終わったら茶葉のみを焼いて乾燥させ、二日目また同じことの繰り返し。何日かこの工程を繰り返すんじゃ。製茶期間中は一睡もしない、気の遠くなるような作業じゃよ」

96歳の方が何日も眠らずに作ったお茶。口杯を持つ手が震えました。



張茶師に注いでいただいた幻のお茶。ミカンを思わせるようなきれいな茶湯。ミカンの花独特の甘い香りを口に含むと木の香りに変化し、最後に口の中は、鉄観音の香ばしい余韻と甘味が充満します。

20年〜30年前に受賞した数々の賞。部屋中の壁に掲げてありました。当時の木柵鉄観音の品評会のレベルはかなり高かったそうです。現在品評会に参加しなくなった主な理由は、生産量が少ないためです。

立ち入り禁止!張茶師の製茶工房。こじんまりとしていますが、必要なものは全て揃っており、一つ一つの道具に年季を感じます。この場所から木柵鉄観音は生まれたのですね。

これは「布球機」と言います。茶葉を包んだ布を締め上げて球状にし、機械に挟み込みます。茶葉を左右から圧搾してボール状に固めるのです。布球機が終わったら団揉機にかけます。

こちらは「団揉機」です。球を円盤の上で転がしながら上下から圧力を加えてさらに固める仕組みになっています。この過程で茶葉が丸く締まって行きます。1969年、張茶師は団揉と焙火を取り入れ、現在のような熟茶が完成しました。

張茶師が戸口まで見送ってくれます。別れ際、張茶師と何度も何度も握手をしました。その手はびっくりする程大きく力強く、指先はお茶の色に染まっていました。96歳の大老茶師はずっとこの手でお茶を作り続けてきたのです。



珍夜特急  〜彩香の買い付け日記〜
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