ピュッタボン茶園にて

(2003.4.インド・ダージリン 電脳茶師)


ダージリン出張の三日目は、有名なピュッタボン茶園に泊まりました〜。
毎日毎日、違う茶園のバンガロー(ゲストハウス)に泊まりながら、ダージリン出張旅行を続けています。

ダージリンの茶園っていうのは一つの町のようなもので、一つの茶園に数千〜数万人が暮らしています。茶園には学校もあれば病院もあり、お店などがあって、そこで暮らす人々は、その茶園内で生活が完結しています。茶園対抗のクリケット大会なんかもあるらしいです(ジュンパナ茶園が強いらしい)。
一面の茶樹の海、製茶工場の建物のカラー、制服、バンガロー、製茶途中の茶葉の香り、溢れる自然、景色、そこで暮らす人々! 全てが毎日違うっていうのは本当に刺激的です。そもそも日本とインドは全然違うし。

そんな中で、もし自分がこの土地で生まれたら、何をしていただろう?どんな仕事をしているんだろう?と考えると、すごくワクワクしてきます。
食中毒になったり高山病に罹ったり、英語が通じなかったり・・・と色んな大変さはあるけれど、新しいお茶の世界の発見と、ホンの少しの運さえあれば、ずっと楽しく、ワクワクやっていける気がします。



ピュッタボン茶園
工場長ソマーニさん

ピュッタポン茶園について

ピュッタボン茶園はダージリンで最も古い歴史を持つ茶園の一つです。運営している会社も大きな会社で、リシュハット、サングマなど、他にも名園を抱えております。
このピュッタボンの茶園の工場長が、ソマーニさん!茶園の工場長はよくヘッドハンティングされて、他の茶園に移ったりする事があるのですが、 ソマーニさんは21年間、ピュッタボンの工場長をしています!
「ピュタボン以外のお茶は作りたく無いからね・・・」
とソマーニさんは胸を張ります。

茶園の広さもハンパではありません。最長22km、最大標高差約1200メートルといわれております。とにかく茶畑はお茶の海といった感じで、茶畑のみが延々続きます。あまりにも広い為、またブランド力がある為、インド国内でもピュッタボンのニセモノは出回りまくっているんだとか・・・。
ちなみにソマーニさんはメチャメチャおしゃべり好きです。寝かせてもらえません(^_^;)。







ピュッタボンの製茶工場。グリーンや紫などの製茶工場が多いダージリン工場の中では、割とシンプルです。赤と青の文字は、1992年に記録した市場最高値の文字です。

ピュッタボンの茶畑。アッサムやニルギリは、茶畑の中に日覆いの役目を果たす木がありません。なぜなら、雲がその役目を果たすから。まさに天空の茶園です。

茶畑の斜面に来ました。この斜面ップリを観てもらおうと車と一緒に写真をとりました。お茶作りに水はけの良さは必須!

ピュッタボンはダージリン茶園の中でも、最も標高の高いところにあります。まさに天国。インドにて「天空への扉」をノックしてきました。新しい世界へレッツラゴーです! 今日は茶畑見学で終わり!ピュッタボンのバンガロー(ゲストハウス)に泊まります。工場長のソマーニさんと紅茶を飲み明かしたのは、忘れられない思い出です! 朝の3時にソマーニさんにたたき起こされた(鬼)「もう製茶は終わっちゃうぞ〜!」だって。朝の2時から製茶、昼だと暑くて茶葉がダメになっちゃうからだとか・・。昨晩寝たのは確か1時でしょ?

起きて連れて行ってもらったのが、神社みたいな神聖なところ!朝はお清めをして、「素敵なお茶ができますように」と祈ってから製茶に入るのだそうです。 電脳茶師のアマノッチどえ〜す。私もお清めをしてもらいました〜。お清めをすると、おでこに紅い印をつけてもらえます!なんか、5%くらいインド人になれた気がしてます(^ー^;

さぁ、ついにピュッタボンの製茶工場見学です!帽子とマスクで気合い入っているんですが、なんだか給食当番にしか見えないですね〜。カレー大盛りで!みたいな。


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